Monday, February 18, 2013

チョウ・スイさん


一番思い出に残る町

   私にとって、日本はとても大切な所です。というのは、私の最も楽しい子供の時間を日本の岡山ですごしたからです。その間、私は岡山の小学校で勉強したり、日本人の友達と一緒に遊んだり、いろいろな楽しいことを今でも忘れられません。私が日本の一番好きな所はずっと岡山です。

   私が三年生の時、父は日本の岡山大学で研究者の仕事に就職しました。それから、私と母は一緒に岡山県の岡山市に引越ししました。岡山市は、私の出身地の南京より、大きな町ではなく、田舎のようにとても静かな町です。私は岡山に着いた後、自動販売機とか、電車とか、アニメとか、日本らしいものを全部好きになりました。私は最初日本語がぜんぜん分からなかったですから、コンビニに行った時話されませんでした。だから、ずっと店員さんに高い値段の紙幣(しへい)を払いました。私は岡山の小学校に行く前、毎日家で母と日本語のひらがなやカタカナや簡単な単語などを勉強しました。私の家のバルコニーから、ときどき白くて、赤いぼうしをかぶる小学生が見られました。その小学生たちは全部黒くて、赤いランドセルというかばんを持ちました。小学生の制服もかっこいいと思ったですから、私は日本の小学生になることをとても楽しみにしていました。

   私は家から一番近い「御野(みの)小学校」という小学校に入学した後、その小学校の三年C組の一人になりました。担任の平島先生はとてもやさしい人だけでなくて、あたまもいい人でした。国語とか、数学とか、音楽とか、全部教えられました。私の御野小学校の初日、平島先生は私をクラスに紹介しました。クラスメートたちはたくさん質問をしました、でも、その時私はぜんぜん答えられなかったです。私は三年C組のみんなにいろいろなお世話になりました。例えば、私が何か分からない時、みんなは簡単な日本語とか、ジャスチャーとかで説明しました。日本の小学校は毎日午後三時半ごろ終わるですから、私は友達と一緒に遊び時間がたくさんありました。私はたいてい十人ぐらいの友達と自転車で岡山城や、後楽園(こうらくえん)や、旭川(あさひかわ)や、岡山駅など岡山のいろいろな場所に遊びに行きました。ある時、さくらが咲くころ、私達は岡山の半田山植物園でピクニックをしました。半田山の上で、私の家とか、小学校とかを全部見られました。そして、さくらの木の下でピクニックをすることはとても楽しかったです。

   私は1998年から、2000年まで岡山で二年半ぐらい住んでいました。私はたくさん友達ができたり、日本の言葉や文化や歴史などを勉強したり、岡山の生活に全部慣れました。それから、2000年の夏、私が岡山を離れる時、私はとても悲しくなりました。私の御野小学校の最後の日に、クラスのみんなは教室で送別会をしてくれました。送別会で、みんなは一緒に「未来へ」という歌を歌ってくれました。その後、みんなは私にいろいろな温かい言葉を書いた送別カードをくれました。その時に、私はとても感動して、涙をながしました。

    私は2000年に岡山を離れる以来、日本に行ったことがありません。でも、先生と友達とまだ連絡をとっています。そして、私は毎年、年賀状をもらいます。私は、いつか、岡山に昔の友達に会いに行きたいです。

1 comment:

  1. ハッファインス・ウーマFebruary 22, 2013 at 10:44 PM

    日本で住むのはとても楽しそうですね。チョウさんの友達はとてもいい人達ですね。友達からの年賀状の中で、一番思い出に残る文は何ですか?私はなんか、気になりました。いつか、チョウさん、友達ともう一度会いに行けます、きっと。

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